新たな人生を通じて、
お客様・仲間・家族を幸せに。

MANAGER

宮守 淳貴 JUNKI MIYAMORI

大阪支社長

大阪支社の代表者としてチーム全体を統率。大阪だけでなく、兵庫や京都を含めて数多くのお客様の支援をしています。

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Question 01

Q.これまでの経歴を教えてください。

日本代表、ドラフト会議
プロ野球選手に選ばれたんです。

自分は学生時代、野球一筋でした。中学生で日本代表に選抜され、名門の青森山田高校で甲子園に二度出場し、高校生で中日ドラゴンズからドラフト会議にかけられました。その年の甲子園で、ショートの最優秀選手と新聞に取り上げられるなどしましたが、恩師の勧めで大学へ進学することに。大学の4年間は、後輩の育成に最も力を入れました。

卒業後、鉄道会社の社会人チームでプレーすることが決まっていましたが、現存のショートのレギュラー選手がその年プロに行く話がなくなり、自分は最大手の玩具メーカーへ入社することになりました。

平日は仕事、休日は野球の毎日でした。野球ありきで入社したので、任される仕事は、正直人を選ばないような内容ばかり…その中で、自分は一体何がしたいのか、初めて人生に戸惑いを感じてしまいました。結果として、勢いあまって急に退職してしまったんです(笑)。これが人生で一度目の大きな挫折です。しかしながら生活していかないといけないので、たまたま見かけたサングローブのアルバイトに応募しました。

Question 02

Q.入社後のエピソードを教えてください。

何もかもが未経験…
二度目の挫折を味わいました。

テレフォンアポイントのアルバイトから入社したんですが、ある日代表から「営業をやってみないか」とのお声が。不器用な私に、とても丁寧に教えてくれました。サングローブでなければここまでサポートしてもらえなかったと思います。にもかかわらず、途方もなく何もできなかったのを今でも覚えています…まずそもそも、自分の想いに合う言葉がうまくアウトプットできないのです。野球ばかりやっていたので。

当時は自分だけがアルバイトで営業の仕事をさせてもらっていました。同時期に営業職で入社した、中途採用の正社員が二人いましたが、どんどん置いていかれましたね。その二人は経験者で、事業やサービスの説明からでしたが、私はOJTからのスタート。また逃げ出したくなりましたが、それでまた同じことを繰り返すのが恐くて、もう無心で腹を括りました。

OJTの後は新規営業の仕事からスタートしました。お客様先に初めて一人で行ったのは、入社してから2ヶ月後。始めはお客様にただ資料を読んでもらって、その質疑応答を受けることしかできませんでした。それでもお取引をいただけたのは、熱意と提供するサービスの良さを買っていただいた結果だったと思います(笑)。

私は昔も今も、折衝のような営業をすることはできません。それでも、結果を出す度にご紹介の案件が増えるので、それをひたすらに繰り返していきました。無我夢中に頑張っていたら、気づけば営業成績が一番に!最高に充実した毎日でした。サングローブで生まれ変わることができた私は、全力で野球をやっていた頃のような自信を、次第に取り戻していきました。

目まぐるしい日々を経て、気づけば東京本社で営業の責任者に就任。きっかけをくれたのはサングローブでしたが、いつも私を育ててくれたのはお客様です。そのことが真にわかっていないと、営業責任者はまず務まりません。

その矢先に代表から「大阪へ出張してほしい」と言われ、関西圏の新規営業担当者になりました。そこから数多くのお客様とご縁ができ、次第に「大阪に支社を立ち上げたい」と思うように。自分をここまで育ててくれたお客様にもっと恩返しがしたい、大阪にもっと留まりたいと考えました。

支社設立後は結婚したり子どもができたりと、プライベートでも大きな変化がありましたね。今では「自分の居場所はここだ」と、人生で一番の自己有用感を感じられるようになりました。

Question 03

Q.入社を考えている方へ、メッセージをお願いします。

共に全力投球する、
家族のような仲間に。

今後集まってくる大阪支社の新メンバーには、自分と同じような得難い経験をたくさんしてもらいたいです。仕事には全力投球して、ときに厳しく、ときに余暇を一緒に過ごしたり…共に支え合えるような、家族のようなチームが理想です。東京本社に負けないような、最高のチームワークを発揮していきましょう。

サングローブには、切磋琢磨できる仲間とチャレンジできる環境があります。どんなに自信がなくても、不器用でも、主体性を持って前に進み続ければ必ずチャンスを掴めます。自分を変えたい方、仕事を心から楽しみたい方、一緒に働いてみませんか?

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